満島ひかりさんの歌う「浪漫飛行」はなぜ感動するか?考えてみました。

 

みなさん、満島ひかりさんの歌う「浪漫飛行」を聞いたことがありますか?

 

好き嫌いはあるだろうし、おどろくほど歌が上手ということはないのですが、なぜか、なぜか、私は胸にじーーーんと来ました。同じくカロリーメイトのCMで、以前歌われていた、中島みゆきさんの「ファイト」という曲も衝撃を受けたことを覚えています。

 

満島ひかりさんだけでなく、あまり歌唱力はなくても、なんかじーんと胸に響く、惹かれる、もう一回聞きたい!そんな方はいますよね?それって、なんなのかなーと考えてみました。

 

今回は、歌のコツをご案内するということではなく、みなさんと一緒に考えていけたらなーと思って書きました。

 

なのでとても長くなってしまい、読みにくいところもあると思いますが、興味のある方は読んでいただけるとうれしいです。

 

今まで、プロ、アマチュア問わず、たくさんの人の歌を聞いていて、「歌う」ということとどうつきあうのか、いろいろあるな~と感じていました。そしてそれを、4種類にまとめてみました。

 

1 ストレス発散型

音程やリズムなんて気にしない!楽しく歌いたい!うぉぉー!

歌うことで、ふだん我慢していることやストレスから解放され、その人らしさを取りもどし、のびのびと自由になって楽しみたい人。

 

 

2 自分を見て型

例えば、大切な人を亡くした悲しい曲を歌うとします。

 

曲の主人公ではなく、歌い手の「私」が大切な人を亡くしたと仮定して、そのときの私がするであろう表情、声、身ぶり手ぶりを見せる方法。

歌うことで、いろいろな自分を見せたい人。

 

 

3 表現型

ここでは2種類あると考えています。2と同じく、大切な人を亡くした悲しい曲を歌うとします。

 

・3ー1 主人公を演じる型 

1つめは、大切な人を亡くした、悲しそうな主人公に見えるような表情、声、身ぶり手ぶりなどを使って、演じる。演技する。

この3-1も、根っこは2と同じく、自分を見せています。

 

・3ー2 主人公になる型 

そして2つめは、大切な人を亡くし、悲しんでいる主人公そのものになる。その主人公がどんな人なのか自分なりに考え、吸収する。そしてその主人公になって歌うと、自然と、大切な人を亡くしたときの主人公の表情、声、動きになっている。その主人公を表現している。

 

 

ということで、満島ひかりさんは3ー2なんじゃないか、じーんと来た原因は、3-2じゃないかと思いました。

 

ただ3ー1と3ー2は私には見分けるのが難しく、また完全に分かれていることもあれば、混ざっている場合もあると思うんですが、ここのところはまだ考え中です。

 

誤解がないように書いておきたいのが、1~3のどれが良くて、どれが悪いと言ってるのではないんです。歌うこととどうつきあっていくかということは、自由です。

 

話は戻って、なぜ3ー2がじーんと来るのか?

 

1は聞き手がどう思おうと、その人が楽しかったらそれでOKなので、ここでは触れずにいきます。

 

2や3-1は、歌うということを通して、自分を見せたい気持ちがあります。「こう見られたい」「こう思われたい」というところがあるので、そのためには、「こうして歌わなきゃ!」という思いにとらわれてしまいます。

 

そしてそういう思いにとらわれているときは、自分のことしか見えていません。

 

なので聞き手からすると、野球選手が壁に向かってボールを投げ、自主練習している様子を見せられているような感じです。

 

そして歌い手の底の底には、「見てほしい」「認めてほしい」「褒めてほしい」という聞き手への要求があります。そこを聞き手もキャッチするから、不自由さを感じ、感動どころではありません。

 

しかし3-2は、なんにもとらわれることなく、その歌の世界を表現しています。聞き手にどう思われようかなどという気持ちはなく、ただただ、その歌を表現しています。

 

聞き手は、純粋にいいプレイをしようと一生懸命な野球選手たちの試合を見ているような感じです。

 

ということはこの場合、それを見てどう感じるか、聞き手は自由です。楽しんでよし、リラックスしてよし、感動して泣いてよし、つまらないなーと思ってよし。

 

だからいい表現には、聞き手もなににもとらわれることなく、ぱーっと解放され、ただただ感動したり、元気になって「明日からまた仕事がんばろう!」と思えたりするんではないでしょうか。

 

やっぱり最後は、その人の心かな~というところまで考えて、落ち着きました。

 

今日は、長々とごらんいただいてありがとうございました。

 

満島ひかりさんの「浪漫飛行」はなぜじーんとするのか?!わたなべはこう考えました編でした。みなさんはどう思いますか?なにが正解というのはないと思います。みなさんの感じる、それぞれの思いを聞かせてもらえたら嬉しいです!

 

 

 

 

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コメント: 6 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    松本和也 (月曜日, 15 4月 2013 19:02)

    浪漫飛行・・・今まで歌詞の中身までチェックして聞いたことなかったです。いい歌ですね.3-2ですかあなるほど・・・でも純粋に人にいい上手い歌を聞かせる技術を磨くボイストレーニングも大事ですよね、3-1のように完全に俳優になりきって歌うってのもありかなあ?と・・・。

  • #2

    渡辺ミユキ (月曜日, 15 4月 2013 23:31)

    松本さん

    コメントありがとうございます!

    >でも純粋に人にいい上手い歌を聞かせる技術を磨くボイストレーニングも大事ですよね
    はい!声に不自由を感じて、もっと自由に歌いたいと思われた方には大切です。

    >3-1のように完全に俳優になりきって歌うってのもありかなあ?と・・・。
    3−1は、主人公にはなりきってなくて、大切な人を亡くして悲しんでいる主人公に見える演技をしているだけで、そう演技している自分を見せています。なので自分を見せるという点で、2と同じかなと思っています。

  • #3

    北川一美 (火曜日, 16 4月 2013 12:20)

    ミユ先生お久しぶりです♡
    私も歌の上手さと歌を聞いての感動は別物だとずっと思ってきました。
    歌がいくら上手でも何の感動ももたらさない歌い手さんはいっぱいいらっしゃいます。
    それは主人公になりきれていないからではないかと感じます。
    私はほぼ3-2でしか歌えませんから(単なる自己陶酔ですが笑)、自分が歌いたい歌はもの凄く限られてきます。詩に感動しないと歌えません。
    たまに3-1がありますけれども・・・
    私は基本的にどんなに歌が上手でも聞いている方に感動をもたらさない歌は上手と言えないと思っています。
    私もいつも、歌の上手さに関係なく感動ある歌や感動のない歌があるのは何故なのかと思っています。

  • #4

    miyukivoice (火曜日, 16 4月 2013 21:35)

    一美さん〜!!お久しぶりです!!ブログを読んでくださって、コメントいただいて感激しています!ありがとうございます♪

    >歌がいくら上手でも何の感動ももたらさない歌い手さんはいっぱいいらっしゃいます。
    そうですね。私も感じます。

    >自分が歌いたい歌はもの凄く限られてきます。詩に感動しないと歌えません。
    はい、よく分かります。これは歌い手にとって、とっても大切なことなんじゃないかと思います。

    >私は基本的にどんなに歌が上手でも聞いている方に感動をもたらさない歌は上手と言えないと思っています。
    それが、音楽がなくても生きていけるけども、音楽はなくならない、必要とされているというところへつながっていくんでしょうね。

    これからも一美さんの素敵な歌の世界を表現していってくださいね♪

  • #5

    とも (木曜日, 05 9月 2013 11:03)

    こんにちは!
    通りすがりの歌うのが好きなものです、はじめましてm(_ _)m

    感動する歌、しない歌の違いを検索していたら、こちらのページに辿りつきました。

    読ませて頂き、なるほど!と腑に落ちたら、自分の歌が断然良くなり、私の心も開放され、とても、いまハッピーです!!!
    貴重な情報を、本当にありがとうございました!m(_ _*)m

  • #6

    miyukivoice (火曜日, 10 9月 2013 17:00)

    ともさん♪

    ようこそ!ごらんいただいて、ありがとうございました!私もこれを書いてからも、まだいろいろ考え中ですが、そんな記事がともさんのお役に立てたこと、とっても嬉しく思っています。

    心が解放されるって、とっても素敵でハッピーですね!ともさんのこれからの人生に素敵な音楽が寄り添っていますように♪